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3月末に、「NAGASAKI1945 アンゼラスの鐘」の上映会が、南米ペルーのリマ(3・23~24)とブラジルのサンパウロ(3・25~29)でありました。その報告が、有原誠治監督より届きましたので2回に分けてご紹介します。 サンパウロに響く 反核平和の鐘の音 2008年4月 有原 誠治 昨年10月の国連上映の大きな反響を受けて、長崎の高校生平和大使・一万人署名の活動 と「アンゼラスの鐘」の上映を結びつけて核兵器廃絶の声を世界に届けようとする「アンゼラスの鐘を世界へ広げる長崎共同実行委員会」が3月16日に長崎で発足しました。その最初の取り組みとして位置づけられたのが、昨年の11月から準備されていた3月の南米ペルーのリマ(23~24 日)と、ブラジルのサンパウロ(25~29 日)の上映会で、「監督もぜひ」との声にはげまされ、私は3月24日にサンパウロに飛びました。(写真は、被爆者協会森田隆会長と「アンゼラスの鐘」上映を報じるミニコミ誌) 高校生平和大使と一万人署名活動 長崎の高校生平和大使の活動は、1998年に長崎で始まった若々しい平和活動で、核兵器廃絶のメッセージを高校生たちに託して平和大使として国連に届ける市民運動です。自ら平和大使を希望して参加した高校生たちは、「ビリョクだけどムリョクではない」を合言葉に一万人署名活動を立ちあげ、その協力要請に世界各地の教育関係者や平和活動団体を訪問して交流を重ねています。参加する高校生たちは長崎から日本各地へ、さらには韓国やブラジルの高校生たちも参加する国際的な広がりを持つユニークな活動として注目を集めています。 私は成田からひとり、ニューヨーク経由で24時間、現地時間で25日の朝8時45分にサンパウロ空港に到着し、23日からペルーを訪問していた長崎の高校生平和大使のメンバー5名、長崎の高校生の井原歩さん、鹿児島の高校生笛田満里奈さん、長崎の被爆者元山寿恵子さん、長崎の被爆二世で高校生平和大使のサポーターの丸尾育郎さん、そして、今回の旅のコーディネータでジャーナリストの畠山えり子さんたちと合流しました。(写真は、今回活躍した高校生平和大使の井原歩さん〔長崎〕と笛田満里奈さん〔鹿児島〕) サンパウロの在ブラジル被爆者協会 サンパウロでの私たちの受け入れ団体は、在ブラジル原爆被爆者協会です。会長は森田隆さん(83才)、被爆者協会の事務所をおく食品販売店「スキヤキ」の店主でもありました。(3月25日、店先で「スキヤキ」私たちを迎える森田会長) 森田さんは、1945年20年の時に広島の爆心地で被爆。火傷を負うものの奇跡的に助かっ て、同じ被爆者の綾子さんとご結婚。11年目に家族で移民となりました。新天地で必死に働いて28年目の1984年、森田さんたちは日本の被爆者に健康手帳が交付され援護が行われていることを知ります。その援護を日本政府に求め、ブラジルに住む被爆者に呼びかけて84年の夏に在ブラジル原爆被爆者協会を設立。2002年には、在外被爆者の援護を打ち切ろうとする日本政府相手に提訴。5年に及ぶ裁判闘争を経て07年2月、最高裁で完全勝訴を得た原告が森田隆さん。ニュースでは知っていましたが、そのご当人だと私が知ったのは、恥ずかしながら「スキヤキ」の食堂で森田さんのお話を伺いながら、うどんをすすっている最中のことでした。![]() サンパウロでの「アンゼラスの鐘」上映と平和 交流は、森田隆会長をはじめとするサンパウロの在ブラジル原爆被爆者協会のお仲間のご奮闘で、大きな成功を収めることができました。 (写真上は、食品店「スキヤキ」。下はその二階にある在ブラジル原爆被爆者協会事務所で被爆者にインタビュー中の高校生平和大使の二人と、長崎から同行の畠山えり子さん) ポルトガル語字幕入りで上映 日本の私たちは、今回のサンパウロ上映にあたってブラジルで公用語のポルトガル語字幕入りの作成を「時間がない、翻訳できる人がいない、お金がない(80万円ほど)」などを理由に、「英字幕入りでの上映止むなし」と考えていました。ところが、サンパウロのみなさんは、「英語字幕ではわずかな人しか理解できない。この作品を理解して頂くにはポルトガル語の字幕が絶対必要」との決意から、専門家に頼らず、被爆者協会員の息子さんたち森田哲治さんと渡辺伸治・アカシオさんの力をお借りし、まったくのボランティアでポルトガル語字幕DVDを作成しました。この努力が、今回の上映交流会に大きな成功をもたらす結果となりました。ポルトガル語への翻訳作業と、映像への字幕の挿入作業に挑戦したお二人とも初体験とのこと。「必要は発明の母」とはよく申しますが、不可能と思える作業を成し遂げたその努力と情熱にはただただ驚き、深く感謝するばかりです。 (写真は、字幕入りDVD を徹夜で作成した渡辺君と被爆者協会事務所にて) 3・26 午後 サンパウロ日伯文化協会上映会 26 日の日伯文化協会出の上映は、参加者のほとんどが在サンパウロの日本人で400名ほどでした。 この日の朝、徹夜作業でポルトガル語字幕入りが完成したとのこと。早速、それで上映しました。ポルトガル語のわからない私も拝見しましたが、とても上手に出来ていたようです。観客のみなさんに大変喜ばれました。 ![]() 水曜午後1 時の上映開始でしたので、子どもや若者の姿はほんのわずか。観客のほとんどが、ご年輩のみなさんでした。上映終了後、舞台に立ってお礼の挨拶を述べました。「日本から来た監督に質問や御意見を」と司会者の方が誘ったのですが、在ブラジルが長いといえども日本人、質問や発言もなく静かな上映会でした。ロビーでは、在サンパウロの被爆者や広島や長崎出身の方々に「よく作ってくださいました」と、握手を求められました。 (写真は、観客を迎える被爆者協会の盆子原国彦さん、横断幕は長崎高校生平和大使が持ち込んだもの) 3.27午前 サンパウロ聖フランシスコ校上映会 27日午前中の聖フランシスコ、デ、アシス校での上映は、参加者が230名ほど。幼稚園から高校生までが学ぶ私学のクリスチャン学校で、聖フランシスコ、デ、アシスの校名が「アンゼラスの鐘」の原作者、秋月辰一郎先生の洗礼名とまったく同じ。不思議な縁を感じました。鑑賞した学童は小学高学年、中学生が中心で、高校生はチラホラほんのわずか。高校生は試験期間で参加ができなかったそうです。 残念だったのは、会場となった講堂が明るく、しかもスクリーンが小さく、せっかくの字幕が読みにくく、後方の席の学童たちは鑑賞に集中できなかったようです。しかし、上映後にも盛大な拍手と歓声が上がり、中学生たちから「制作にはどれぐらいの期間が掛かったのか」「「被爆したときはどんな気もちだったのか」などの質問があいつぎ、とてもよい交流ができました。 (上の写真は上映を待つ子どもたち、右は子どもたちの質問に答える通訳の斉藤やす子さん) 3.27午後 ジメンソン高校上映会 27日午後、ジメンソン高校での上映会は、視聴覚設備のよい会場で参加者が90名。狭い教室が学生たちでいっぱいでした。私たちが紹介されると、一斉に大きな拍手、口笛、歓声が上がるのはここも同じ。開放的なお国柄を感じました。会場のよさもあって、高校生たちとても集中して見ていました。被爆シーンでは、一斉に驚きの声があがりました。家の下敷きになった母親が子どもを助けてと叫ぶシーンでは、女性教師が泣きながら会場から出てきて「同じような子どもたちがいるからとてもつらい」と語っていました。落ち着くと、彼女はまた教室に戻って見てくれました。 (写真上は、質問する高校生) 上映終了後も大きな拍手。そして、私たちに「アニメで制作した理由は」「米国の原爆投下のねらいは」「被爆直後はどんな状態だったのか」「アメリカでの上映の反応は?」など、さまざまな質問があいつぎ、デスカッションと交流は1時間以上も続きました。高校と聞いていましたが、小学生や中学生、さらには大学生と思われる子どもたちがいて驚きました。聞けば、成績次第で入れる学校で、授業について行ける子は低年齢でも学べ、成績の悪い子はいつまでも卒業できないのだそうです。 ( 写真は、愛嬌たっぷりの女子高生たち。) 3.27 夜 イビラプエラ大学上映会 この日の夜のイビラプエラ大学での上映会は、圧巻でした。 ![]() 相撲の東関親方(高見山)のような体格の学長も参加して、歓迎の挨拶を述べて下さいました。私たちが紹介されると、拍手と口笛と歓声で歓迎する様子はここでも同じでした。 ![]() 上映終了後にも、大きな拍手や歓声が上がりました。九時からのデスカッションには、夜の授業のない200 名ほどが残って参加。核廃絶は可能か、日米関係はどうなっているのか、原爆を落としたねらい、アメリカ上映での反応などなど。大学生らしい知的な質問があいつぎ、学長や教授たちまでもが熱心に発言。学生たちはとてもまじめで熱心です。授業が迫った学生たちから静かに少しずつ退場して行きます。結局、デスカッションは10 時半近くまで続き、終了後も学生たちは話しかけてきて握手と写真撮影で交流、学校を出たのが11 時近くでした。ホテルに帰ったのが11 時半。この夜は、とうとう夕食を逃してしまいました。 (写真は並んで署名する大学生たち) こちらの大学はどこでも、働く学生のため、午前、午後、夜と選択して学べるそうです。肌の色もさまざま、明るくにぎやかで人なつこいブラジルの若者たちですが、好奇心、向学心、向上心の高さを感じました。ついつい、日本の大学の現状と比較してしまいました。 (写真は、被爆二世で通訳の斉藤やす子さんに語りかける大学生たち) 3.28 ピオネール校での上映会 3月28日の午前中は、日本人が創設し経営する私立ピオネール校で上映。上映後に交流の予定でしたが、11時ごろに私たちが到着すると、なんと二度目の上映中とのこと。最初の上映で見た校長先生たちが、その時間に見ることができなかった学生たちのために急遽上映することにしたのだそうです。その終了を待つ私たちは、給食室で御馳走になりました。おにぎりや味噌汁も出て、おなかの中からとても満たされました。(写真は、鑑賞を終えた中学生と語り合う高校生平和大使たち) この学校は、最初花嫁学校としてスタートし、今では幼稚園から高校まで学べるとのことでした。サンパウロ在住日本人たちの、多くの子どもたちがここで学ぶのだそうです。上映終了後、数人の中学生しか残っておらず、その子たちを囲んで高校生平和大使の二人が交流しました。 3.28 パリウスタ教育委員会で上映。 平和教育に熱心なアンドレア教師たちの働きかけによって実現したパリウスタ地区の教育委員会での上映会で、当初は「数百人の教師を対象にしている」と聞いていました。が、訪問する と会場となる部屋は80ほどの席しかありません。定刻を過ぎてもパラパラとしか人があらわれず心配しました。やがて、予想外な中学生たちがぞろぞろと集まって来てほぼ満席となりました。予定していた教師たちに他の会議が入って、参加出来なくなったのだそうです。(上の写真は、参加者に私たちを紹介するアンドレア教師)ここでも、上映後のデスカッションは学生教師ともどもとても熱心でした。中学生から「長崎で、戦争を身近に感じることはありますか?」との質問があったとき、平和大使の井原歩さんが 被爆したおばあさんが癌で亡くなったことを涙ながらに語って、「人間と共存できない核兵器を今すぐなくして欲しい」と答え、大きな共感を呼びました。質問した子は、「質問し、辛い思いをさせて申し訳なかった」と語っていたそうです。 (上の写真は、高校生平和大使井原歩さん)被爆者の力 上映交流会の大きな成功は、ひとえにサンパウロの在ブラジル被爆者協会(森田隆会長=右の写真)による証言活動と、平和教育に熱心な教師たちの長年に渡る交流が土台にあってのことと痛感しました。森田さん(83 歳)はどの学校でも子どもたちに大人気で、教師たちの尊敬を集めていました。被爆者の証言活動の大きさ、深さをしみじみと感じました。(学生に人気の森田隆会長) 発熱のアクシデント ちょっと残念だったのは、高校生平和大使の笛田満里奈さん、井原歩さんのお二人が、サンパウロに入ってから体調を崩して発熱し、26 日、27 日には用心を取ってホテルで休養せざるを得なかったことです。ペルーからの大変な強行日程で、溜まった疲れが出たようです。幸い、被爆者協会に身近な医師、斉藤充男ドクターが数度見舞ってくださり、高校生や私たちは安心して過ごせました。28 日に二人は完全復帰できたのですが、同世代の参加者が最も多かった27 日にホテルで過ごさねばならなかったことで、笛田、井原のお二人は、とても悔しい思いをしたようです。(写真は、聖フランシスコ・デ・アシス校の子どもたち) ★続編を読みたい方は、 海外での上映活動 をクリックして下さい。
3月末に「アンゼラスの鐘」サンパウロ上映に参加した有原監督の、レポート2です。 サンパウロの 若き平和教育者たち 2008年、4 月 有原誠治 サンパウロ日伯文化協会での上映会(3 月26 日)をのぞけば、27 日からの各学校での上映会の成功は、アンドレア先生(聖フランシスコ校教師・写真左から二人目)とクリスチアーノ先生(ジメンソン高校教師・写真左端)お二人の歴史教師の学校の垣根を越えた奮闘によるものした。 ![]() 学校の異なる二人がどうして他の小中学校や大学、教育委員会にまで影響力があるのか不思議に思った私は、通訳の斉藤やす子さん(被爆者協会員)のお力を借りて、最終日の3 月29 日の昼にインタビューをしました。 (写真右は、長崎から訪問した被爆者元山寿恵子さん) 人間としての友情をベースにして 私「お二人をはじめとする教師たちの、学校を越えて平和教育に熱心な姿が印象的ですが、それはどんな集団で、どんな目的を掲げてやっているのですか」 先生方「私たちの活動はまだ組織ではない。教育者として、人間として、平和を大切に思う友情をベースにして連帯、協力し合ってやっている。教育者としての情熱だけで活動している。幸い、さまざまな学校も協力的で設備を使わせてもらっている」 「2 年前にサンパウロの被爆者の会と出会い、私たちと共通するものを感じた。歴史的事実 を知るだけでなく、森田さんたち(被爆者)のおはなしを聞いて、感性面からも理解し、子どもたちにもっと向上心を持っていただきたいと願っている。その活動を通じて、私たち自身も高められる。」「被爆者のお話しを聞いた子どもたちは、早く署名(核廃絶の)をしたいと願う。28 日の教育委員会での上映会に参加した子どもたちは公立学校の中学生たちで、彼らも同様に早く署名をしたいと思っています。森田さんたちを尊敬しています。」 私「28 日午後の教育委員会の上映会は教師のためのものと聞いていたが、子どもたちがおおぜい来たので驚いたけど・・・」 先生方「実はあの上映会は、予定と違ってしまって残念に思っています。参加するはずだった教師たちに他の会議が入ってしまい、急遽、公立学校の中学生たちに参加を呼びかけました。教師たちはいろんな問題を抱えていて、もっと時間があればと、とても残念です。」 ![]() 私「教育委員会は、こうした学校を越えた活動にいつも協力的なのですか?」 先生方「さまざまな問題はありますが、教育委員会は教師達のさまざまなプロジェクトに費用を援助するプランがあります。 私たちは平和教育に関する新しいプロジェクトを積極的に提案していくつもりです。」 (写真中央が、教育委員会の最高責任者、左が通訳の斉藤やす子さん) 学ぶことを支援する大学 私「27 日の夜のイビラプエラ大学での超満員と、深夜(10時半)に及ぶデスカッションには驚きましたが・・・」 先生方「360 席の会場でしたが、間違いなく500 名は越えていたでしょう。そのうちの100 名は、郊外からバス二台でやって来ました。彼らは大学生ではなく、働きながら高校の資格を取るために学ぶスブレチーブ校といわれる学校の生徒たちです。が、とても熱心です。私(アンドレア)は、そこでも歴史を教えています。同様の学校はサンパウロ郊外に7 校あります。」私「バス台はだれが負担したのですか、学生たちですか?先生たちですか?」 先生方「大学側です。」 私「すごい大学ですね。大学生だけでなく、学長や教授たちも最後まで参加していましたが・・・」 先生方「とても協力的です。上映が終わってすぐに退席した学生たちは、授業が待っているからです。それがなければ彼らも残ったはずです。」 私「授業ですか。映画が終わったときすでに夜九時を過ぎていましたが?」 先生方「学校は、朝、昼、夜と授業があり、学生たちが働きながら学べるように配慮されています。最後まで残ったのは、コミュニケーション学科の学生たちです。学長はじめ大学側は、平和教育を実践する私たちの活動に大変に協力的です。実は、移民100 周年を記念し、今回のようなイベントを企画し大学側に提案するように進められています。お知恵を貸してください。」 私「えっ・・・・。日本には「アンゼラスの鐘」のような原爆被爆を描いた映像作品が150 本以上もあります。そうした作品を活用して今回のようなイベントなら実現可能だと思います。私も帰国したらなにができるのか、仲間と相談して見ます。」 以上が、アンドレアとクリスチアーノ、二人の教師と私のやり取りですが、歴史を教える高校教師の二人に、教育委員会や大学がなぜにこうまで協力的なのか、肝心なことが聞き出せていません。閉鎖的な日本の学校のあり方と大きく異なる実態におどろき、面食らってしまったというのが正直なところでした。 最後に私は「日本の教員組合も平和教育に熱心ですが、みなさんは労働組合に参加していないのですか?」と、聞きました。するとアンドレア先生がポケットから二つの会員証カードを出して「私学の教職組合と公立の教員組合があって、私はその二つに参加している。」と答えました。すると、すかさずクリスチアーノ教師が「公立の組合は政党と近すぎて、ぼくはもっと自立しているべきだと思う。」と述べ、アンドレア先生とのちがいを強調しました。私は「日本の教職員組合も同様の問題を抱えていて、絶えず論争している。」と述べると、二人は苦笑していました。 後日、盆子原さんたちから教わったのですが、サンパウロの大学の入試にはヒロシマ・ナガサキに関連する項目が必ず出る、とのことでした。 ![]() サンパウロ被爆者協会会長の森田隆さん、盆子原国彦さん、渡辺淳子さん、斉藤やす子さんたちは、どこの学校でも児童や学生たちの温かい拍手と大きな歓声で迎えられていました。そこには、ブラジルの地に生きる被爆者たちへの信頼、尊敬のまなざしがありました。サンパウロの市内には、いたるところ誇らしげに美しい花を咲かせる花木があります。森田さんたちがサンパウロの若い教師たちと共に咲かせた平和教育は、私には大きな美しい花木のように見えました。 2008 年4 月5 日 有原 誠治 ![]() ★サンパウロの街角に咲く美しい花木 < 前のページ次のページ >
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